プロフィール
Q.質問 どんな方かわからないとお願いしにくいので、自己紹介をお願いします。 |
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A.特定社会保険労務士・行政書士岩本の回答 おっしゃるとおり、どこの誰かわからない人間にコンタクトを取るというのは勇気がいると思いますので、簡単ですが「自己紹介」をさせて頂きます。 |
岩本 浩昭(いわもと ひろあき)
岩本行政書士・社労士総合オフィス 代表
1974年(昭和49年)和歌山県生まれ。
関西学院大学社会学部卒業。
輸入食料品等を取り扱う会社にて4年間勤務した後、行政書士を目指すため26歳のときに会社を退職。
退職後、受験までの間は「無職」となり、約半年間試験勉強に集中できると思いきや、会社勤めからの開放感からかかえってダラダラしてしまい、1回目の受験はあえなく失敗。
その後、アルバイトをしながら翌年再度受験し、なんとか行政書士試験に「合格」。
準備期間を経て、2003年(平成15年)4月に「行政書士登録」。
28歳の時に「岩本行政書士事務所」(当時)を開業。
主に、介護・福祉関連事業の申請手続きをメイン業務として取り扱う。
その後、行政書士だけではお客様のさまざまなご要望にお応えすることが難しいと痛感し、「社会保険労務士」を取得しようと決意。
今度こそは1回で合格を・・・と思うも、仕事の忙しさを理由になかなか勉強がはかどらず、1回目の受験はまたしても不合格。
痛い思いをしないと追い込まれない性格のようで、「3回目の受験はさすがにしんどい!」というモチベーションをもとに、2回目は何とか合格。
晴れて社会保険労務士登録ができ、事務所名を「岩本行政書士・社労士総合オフィス」に変更。
介護・障害福祉サービスの指定申請手続きを中心に、その他、「労働・社会保険関係の各種届出」、「助成金の申請手続き」、「就業規則の作成等」を行う。
また、株式・合同会社等の「会社設立手続き」、創業資金の「融資申請」、介護タクシーの許可申請手続き等も行う。
介護・福祉事業に関する申請手続きを網羅できるよう、日々研鑽している。
行政書士・社労士は「サービス業」という信念のもと、おごることなく、お客様の満足度、安心感を第一に考え、強引な依頼の勧誘、派手な広告は一切行わず、誠実にかつ確実に業務を遂行できるよう心がけている。
「お客様お抱えのブレインでありたい」という理想を掲げ、日々業務に取り組んでいる。
沿革
- 平成15年(2003年)4月
行政書士として登録。
守口市にて「岩本行政書士事務所」開業。 - 平成17年(2005年)10月
初めて介護事業所開設の依頼を受け、以降、介護・福祉事業に力を入れていこうと決意。当専門サイトを作成。 - 平成20年(2008年)5月
大阪府行政書士会会長より「会長表彰」受賞(大阪府行政書士会定時総会)。 - 平成21年(2009年)4月
大阪市北区に事務所移転。
事務所名を「岩本行政書士法務総合オフィス」に変更。 - 平成21年(2009年)12月
第三者評価調査者養成研修修了。
(高齢福祉分野・障がい福祉分野・児童福祉分野) - 平成24年(2012年)4月
開業10年目突入。 - 平成25年(2013年)9月
社会保険労務士として登録。
事務所名を「岩本行政書士・社労士総合オフィス」に変更。 - 平成27年(2015年)4月
特定社会保険労務士(裁判外紛争解決手続代理業務可能な社労士)の付記。 - 令和4年(2022年)4月
開業20年目突入。 - 令和5年(2023年)5月
大阪府行政書士会会長より「特別表彰」受賞(大阪府行政書士会定時総会)。 - 令和6年(2024年)4月
開業22年目突入。現在に至る。
表彰
平成20年(2008年)第59回大阪府行政書士会定時総会 会長表彰受賞
令和5年(2023年)第74回大阪府行政書士会定時総会 特別表彰受賞
理念
- スムーズな事業開始手続きや事業発展のサポートのため、私どもは業務を通じてお客様に最適な知識・サービスを提供致します。
- 自分がお客様の立場なら「何をやってほしいか」「何をやってほしくないか」を常に考え、お客様のご意向に沿ったサービスを提供致します。
- トラブル、満足度低下防止のため、サービス内容や費用を必ず事前にお客様にご説明し、納得して頂いてからご依頼頂いております。
- 「サービス業」という信念のもと、国家資格者として誇りを持ちつつ、「驕る(おごる)」ことなく、また依頼欲しさに「媚びる」ことなく、お客様の満足度、安心感を第一に考え、業務を遂行致します。しつこい営業は一切致しません。
- 弊所内部の人間が、自信を持って友人、知人等に弊所を勧めることができるよう、常に改善を繰り返し、よりよいサービスを提供致します。
- お客様の要望に耳を傾けない「自分本位のサービス」または「過剰なサービス」を提供することはありません。
保有資格等
- 行政書士
大阪府行政書士会所属(第4598号)
日本行政書士会連合会登録(第03261143号) - 特定社会保険労務士
大阪府社会保険労務士会所属(第20618号)
全国社会保険労務士会連合会登録(第27130152号) - 第三者評価調査者養成研修(高齢・障がい・児童)修了
- 年金アドバイザー
- キャリアコンサルタント
- 簿記2級
- 書道4段
- 実務書道師範
登録状況確認
- 日本行政書士会連合会 会員検索システム
↑「氏名」に「岩本 浩昭」と入れてご確認ください。 - 大阪府行政書士会 会員検索システム
↑「行政書士名」に「岩本 浩昭」と入れてご確認ください。 - 社会保険労務士には行政書士のような会員検索システムはありません。
共同執筆
介護タクシーの許可に関して、手引きの共同執筆に携わりました。
大阪府行政書士会の会員数名でプロジェクトチームを作り、近畿運輸局・各運輸支局の担当者、行政書士が使用する手引き「ザ・レシピfor介護タクシー福祉輸送事業の実務」を編製しました。
「ザ・レシピ for 介護タクシー」~福祉輸送事業の実務~
(平成25年(2013年)3月発行 大阪府行政書士会業務部)
これは、行政書士が使用する手引き、マニュアルということだけではなく、近畿運輸局・各運輸支局の担当者も使用する手引きとなっており、国が出す審査基準や細部取扱等とともに審査の参考にされる手引きです。
介護・福祉事業に強いメンバーを入れて、タクシー部分だけではなく、介護・福祉事業についても理解を深められるような手引きを作りたいという思いで、メンバーに選んで頂いたようです。
今では、手続きのマニュアル的な要素として使用されることはもちろん、研修のテキストとして使用されている手引きとなっています。
研修講師・講演の実績
■同業の行政書士の方々に対する研修・講演
- 大阪府行政書士会主催(H25年3月19日)
「介護タクシー許可申請手続き」 - 大阪府行政書士会主催(H27年2月10日)
「介護タクシー許可申請手続き」 - 大阪府行政書士会運輸交通研究会主催(H28年1月25日)
「介護タクシー許可申請手続き」 - 大阪府行政書士会主催(H28年11月25日)
「介護タクシー許可申請手続き」 - 大阪府行政書士会主催(H30年2月23日)
「介護タクシー許可申請手続き」 - 大阪府行政書士会主催
合格者講習会での講演「先輩体験談」 - 大阪府行政書士会守口支部主催
「電子定款・会社設立手続き」 - 大阪府行政書士会三島支部主催
「電子定款・会社設立手続き」 - 行政書士有志の会主催
「電子定款・会社設立手続き」 - 女性行政書士大阪会れいんぼ~主催
「介護・障がい者総合支援制度と実務」 - 福祉研究会主催
「介護・障がい者総合支援制度と実務」 など
■経営者・従業員の方々等に対する研修・講演
- 企業主催
セミナー「通所介護申請手続きについて」 - 企業主催
セミナー「介護事業所と助成金等について」 - 介護事業所主催
従業員研修「個人情報保護について」 - 介護事業所主催
従業員研修「相続、遺言、後見制度について」 など
メディア掲載
弊所管理サイトが下記メディアに掲載されました。(広告ではなく「紹介」して頂きました。)
- 独立起業情報誌「起業塾」 2006.7
- 理想の「葬式・墓」選び 2011.3
所属団体での活動
- 大阪府行政書士会守口支部 幹事(1年)
- 大阪府行政書士会守口支部 副支部長(4年)
- 大阪府行政書士会企画広報部員(4年)
- 大阪府行政書士会チーム3.24「障がい者自立支援フォーラム」メンバー
- 大阪府行政書士会福祉タクシープロジェクトチームメンバー など
性格
自分で自分の性格をあれこれ言ってもあまり信憑性がありませんので、書籍を参考に自分の性格を分析してみたいと思います。
■O型
- 自分自身に負けることが嫌い(そのとおりです)
- ゴマをすってまでの成功は望まない(おっしゃるとおりです)
- 打算的な理性が潜んでいる(多少あるかもしれません)
■9月生まれ
- 理路整然として、注意深く物事を進める(仕事は特に慎重です)
- 親しみのある明るさと素直さを持っている(嬉しいです)
- 大胆な判断や行動ができない(確かに…)
■八白土星
- 困難に立ち向かいながら成長を遂げる(らしいです)
- 後継者運がある(そんな気配はありません)
- 自分の成長を邪魔する障害物には容赦ない(恐ろしい…)
■水星人(+)
- 自立心、独立心が旺盛(そうかもしれません)
- 頭の回転が速く、集中力にも優れている(自信はありません)
- 家庭運に恵まれていない(残念…)
こうして挙げてみると、自分ではなるほどと納得できる部分はありますが、実際はどうでしょうか?
実際、私がこのとおりの性格か、よろしければ感想をお聞かせください。(笑)
趣味
- おいしいものを食べること。
とにかく「食べること」がとても好きで、忘年会等は率先して幹事を引き受けます(まだ行ったことのないお店を探すのが楽しくて…)。ですので、ちっとも痩せません。 - 旅行(頻度:年1~2回)
日帰りまたは1泊2日の旅行に出かけ、リフレッシュします。(行先:伊勢神宮、東京など)。自称、観光特急「しまかぜ」の予約のプロです(笑)。
経歴
■幼少期
自分で言うのもなんですが、人見知りするおとなしい子供でした。
そして、食べることがとても好きな子供でした。(今もですが…)
子供の頃の写真は、なぜか食べているときの写真が多く…。
両親曰く、「よく食べる子供だった」とのことですが、本当に食べてばかりだったのか、両親が意図的に食べている写真ばかりを撮ったのかはいまだに疑問。
ですので、ちょっと「肉付きの良い」子供でした。
■小・中・高校時代
地元の公立校にて、小学校から高校まで学生生活を過ごしました。
田舎者らしく、「のほほ~ん」と毎日を過ごしていたのですが、受験、特に大学受験のときだけは急にスイッチが入り猛勉強。
実は、「地元を離れ、都会で一人暮らしをしたい!」という典型的な田舎者の夢(私だけかもしれませんが)があったのです。
その結果、運良く第一志望の大学に合格することができました。
■大学時代
親の心配、苦労もお構いなし、期待に胸を膨らませて大学に入学し、大学生活を満喫(する予定でした)。
現実は憧れていたドラマのような華やかな(?)大学生活ではなく、いたって地味な学生生活。
ただ、大学2年生の終わり(H7年)に、「阪神・淡路大震災」を経験しました。
当時、尼崎市に住んでいた私は激しい揺れに目が覚めたものの、あれほど大きな震災になるとは思わず、外が騒がしくなる中、そのまま寝るという「ふてぶてしい行動」をとってしまいます。
朝起きて、本棚から本が落ち、食器棚からお皿やコップが落ちて割れているのを見て、ようやく事の重大さに気づきます。
当時はまだ若く、危機意識が欠落していたのだと思います。(若くてもしっかりした方はたくさんいますので、言い訳ですが・・・)
そんなのんきな学生でした。
■就職(サラリーマン時代)
気を取り直して(?)、輸入食料品等を扱う会社に入社。
大学までの「のほほ~ん」とした生活とは一変し、激動の社会人生活を送ることになります。
入社1~2年目は百貨店にて販売を担当。
お中元、お歳暮、クリスマス、バレンタインデーなどの繁忙期には食事もゆっくり取れないほどの激務を経験。
特にバレンタインデーでは、始発で行って開店までひたすら包装、営業時間中は販売と在庫補充、商品発注などを行い、閉店後は翌日のために商品補充と包装で終電で帰るという日が続きました。
今振り返ると、まだまだ「学生気分の抜けない新入社員」だったような気がしますが、たくさんの失敗の中から仕事の取り組み方について学んだような気がしますし、厳しく指導してくれた当時の上司にも感謝しています。
入社3~4年目は営業を担当。
最初に部長から営業部への移動を告げられたとき、唖然として「(私が)営業ですか?」と聞き直したくらい、自分には合わない、畑違いの仕事を命じられた!という衝撃を受けました。
(しかも生まれ育った関西ではなく、東京勤務です)
案の定、私の性格を良く知る学生時代の友人、知人は、みな皆声をそろえて
『お前が営業? 絶対合わへんやろ!』 と一言。
(一般的な営業マンのイメージ(いわゆる押しの強いタイプ)ではまったくないので)
とはいえ、サラリーマンである以上、自分に合わないだろうという理由(思い込み)で異動を拒否するわけにもいかず、辞令どおり東京にて営業職を経験。
(東京スカイツリーのすぐ近く、墨田区に住んでいました)
しかし、関西出身の上司、先輩方が多く、ホームシックにかかることなく(?)、また、イメージしていたイケイケ(古い?)な営業ではなく、自分らしい営業スタイルで仕事に取り組むことができ、少し安心したことを今でも覚えています。
そんな中、入社3年目にしてサラリーマン生活の中で一番の「事件」が発生します。
今、振り返ってみると、憧れの東京という大都会で生活するということで、少し浮かれた気分もあったと思います。
そんなお気楽が祟ったのか、仕事の出張先から高速で東京に戻る途中、タイヤが突然パンクし、ハンドルが取られ、身動きが取れなくなったのです!
ガードレールにぶつかってようやく車のスピードが落ち、後続の車を気にしながら何とか路肩に移動。
危うく命を落としかけました。汗)
私が使用する少し前に車検を済ましており、その車検のときには何も問題がなかったようなので、なぜいきなりタイヤがパンクしたのか原因は謎のまま・・・。
結局、玉突き事故などにつながることなく、私も同乗者も怪我ひとつなく、無事東京に帰還。
(皆から「奇跡的!」と言われました)
人身事故につながらなかったということは本当に良かったのですが、会社の営業車は見事に全壊!(猛省)
その反省から、「来年は絶対売上を上げよう!」と堅く決意します。
(たまたま、しばらくして私の所属する東京支店に社長が来られたのですが、申し訳なくてそのときは社長の顔をまともに見ることができませんでした・・・。)
入社4年目は、営業車全壊という失態を取り返すべく努力した結果、少しはそれをカバーできたかなと思えるくらいまで営業成績を伸ばすことができました。
その反動からか、今度は自分の腰を痛めてしまう羽目に。
悪夢の『プチヘルニア』発症。
(私が勝手にこう呼んでいます)
手術をするには至らなかったので厳密にはヘルニアではなかったようですが、しばらくは地面に足がつくだけで激痛が走り、生活もままならない状態に。
初めて激痛が走った朝(忘れもしない12月25日、クリスマスです)、経験したことのない激痛に耐えながら出勤の準備をしていたのですが、腰が曲がらないため、靴下を履くだけで「5分」もかかってしまいました。
1人、手すりにしがみついて駅の階段を恐る恐る下りる私の後姿は、なかなか悲惨でした。(当時はまだ20代後半です)
そんな私の横を、いかにも勝負服(?)らしきものに身をまとったOLさんが颯爽と通り過ぎていく・・・。
今までで、一番むなしい思いをしたクリスマスでした。
入社3年目は「会社の車」を壊し、
入社4年目で「自分の体」を壊す。
我ながら、問題児です。(苦笑)
入社4年目の頑張りにより、営業車全壊の失態を少しカバー出来たと勝手に思い込み、また腰痛から営業の仕事にも多少限界を感じ、以前から興味のあった行政書士となることを決意して退社。
■行政書士試験受験
3月末に仕事を辞め、東京にも近く、便利な千葉県市川市に引越し、受験勉強を始めます。
その年の10月に試験を受けるも、独学の限界からか単なる準備不足からか、見事「不合格」!
1回目の受験後、同じ失敗を繰り返さないよう、アルバイトをしながら某資格予備校に通い、試験合格を目指して再度勉強。
今後のことも考えて、どうせアルバイトをするなら一流の接客業を学びたいと思い、自宅近くの「ディズニーシー」でアルバイトを開始。
厳密には、当時できて間もないシーのホテル内で、結婚式やイベントで食事等を提供する配膳をしていました。
試験3ヶ月前にはアルバイトも辞め、無職となり、毎朝自分でおにぎりを作って図書館に行き、開館から閉館までこもりっきりで勉強。
その結果、何とか合格でき、大阪戻って仕事をしようと決意し、引越し。
「石橋を叩いても簡単に渡らないお前がどうしたん!?」と学生時代の友人等に驚かれながらも、準備期間を経て28歳の時に独立・開業。
我ながら、「何のあてもないのによく開業したなぁ!」と感心しますが、それもこれも良いお客様と諸先輩方に恵まれたから・・・。
そんな若造に仕事を任せてくれたお客様、同業者でありながらいろいろ教えて頂いた諸先輩方には本当に感謝です。
■社会保険労務士試験受験
行政書士として仕事をしている中で、介護・福祉事業に関する業務を行うには「社会保険労務士」の資格が必要だと痛感するようになりました。
それまでは、「ただでさえ行政書士業務は仕事の範囲が広いのだから・・・」という気持ちが強く、わざわざ別の資格を取ろうという気にならなかったのですが、そうも言ってはいられない!ということで、思い切って社会保険労務士試験を受けることを決意。
行政書士試験の受験時(=仕事量を調整できるアルバイト)とは違い、すでに仕事をしながらの受験勉強はなかなか大変でした。
どうしても仕事を優先してしまい、なかなか勉強時間が取れないというジレンマを抱えながらの受験1年目は、最後の追い上げ(?)もむなしく、ある科目が1点足らず足きりになり、見事「不合格」!
行政書士試験同様、痛い目に遭わないと追い込まれないという厄介な性格は健在。
2年目は同じ失敗を繰り返さないように、最初からコツコツと勉強し、時間にも精神的にも余裕をもって試験当日を迎えられるようにと勉強に取り組むことに。
ただ、また1年間ずっと勉強したくないという思いが強すぎたのか、試験前日の日にはあまり眠れず、ちっとも余裕をもって当日を迎えることはできませんでした(苦笑)が、何とか合格。
晴れて、行政書士・社会保険労務士として、お客様のご要望に幅広くお応えできる体制が整い、これからも日々精進していきたいと思います。
いたって普通の男が行政書士・社会保険労務士になるというありふれた話を最後までお読み頂いてありがとうございました。
こんな私に興味を持って頂きましたら、お気軽にお声をおかけ頂ければ幸いです。
特定社会保険労務士・行政書士
この仕事に就くきっかけは?
そもそも、行政書士という資格を取り、仕事をしようと思ったのは、サラリーマン時代に、「自分を守るためには知識が必要!」と感じ、法律に興味を持ったからです。
ある「事故」がきっかけで・・・。